2009年12月05日
分けたり分けなかったり両方だったり。(←どっちやねん!)

5センチ角の木のキューブが、吊るされている。
こんなにたくさん。

清水の出会い系喫茶(半分ホント)の、スノドカフェで行われた建築イベントに行ってきた。
『AXISM』展 −建築を取り巻く環境と設計のプロセスについて−
建築ユニット「AXISM」(影山智康・大橋史人)
1日目はワークショップ、2日目はレクチャーだったのだが、私が参加できたのは2日目のみ。
企画構成のAXISMのお二人は、建築家として活動されている。これまでてがけた住居や事務所建築などの写真を見ながら、ここちよい空間とは何かについて語るという趣向だった。
この企画は、レクチャーを行う空間にも工夫があった。
若干時計を巻き戻し、アプローチから紹介しますよ~。


まず入り口前の窓から、「何か」が見える。

ドアを開くと、AXISM流のにじり口が。
そして、この空間を頭を下げて通り抜けると、広い空間が待っている。

そして部屋の真ん中には、ちょうどテーブルの広さだけ、中空にキューブが吊るされるという趣向が待ち受けている。
この、畳ほどの広さに吊るされたキューブは、いろんな感覚を呼び起こす。
立っていると、ちょうど頭が当たるぐらいの、ちょっと窮屈なところに釣ってあるのだけれど、半分素通しだし、「木」という材質の軽さから、当たっても痛くもなんともない。
そうすると、このキューブ平面の下に、なんとも親密な、あたたかな空間が生まれる。
木ではなくて重い鉄だったら、剣だったら(?!)。また、吊るされる高さがもっと高かったら、低かったら?
いろんなことを考えながら、レクチャーを聴いていた。
お二人の作品は、空間のつかみ方、概念が、とても日本的、というのが第一印象。
言い換えれば、空間の輪郭を極力ぼかし、確固とした囲みの中に立ち上げない、という姿勢を感じる。
お二人の実際に手がけた家の写真を見ていても、それは感じ取れた。
扉を開け放つとちらりと廊下が見え、さらにずっと向こうの隣の部屋も垣間見えたり。
鴨居から「空気を通わせて」隣部屋の気配を洩れさせたり。
ヴィクトル・エリセ監督の『エル・スール』という映画があるんだけど、この中で、上の部屋にいる父親が、コツコツ、と部屋を歩き回る、その音が下の部屋で眠っている娘に聞こえ、娘は靴音で父親の存在を感じる、という場面があったのを思い出した。
・・・日本映画じゃない例を出したもんだから話がまぎらわしくなっちゃいましたが、ともかくそんなふうに、隔てられた空間の間を何かが通い、お互いの存在を感じることが安心につながる、という感覚が、お二人の空間には感じられる。
ここでいったん話は回り道になるんだけど。会場で彦星先生ともちょっとお話したことを書いてみよう。
ドイツの社会学者・哲学者・エッセイストで、ジンメルという人がいる。
彼は、『橋と扉』という奇妙なタイトルのエッセイを書いている。ここで彼が主張しているのが、「人間とは「分けて同時につなぐ生き物」だ」ということ。
ジンメルによると、「橋」は、それまで別れていた二つの空間を隔てつつつなぐものだし、「扉」は、それまでオープンだった二つの空間をつなぎつつ隔てるもの。どちらも、人間の認識活動の根幹だし、どっちも欠かせないことなのだ。
・・・・とまあ、ここまでは彼のちょっと気の利いた思いつき、という感じなのだけれど、彼はさらに、「扉」についてこう言う。
「扉はまさに開かれるものでもあるがゆえに、それがいったん閉じられると、この空間のかなたにあるものすべてに対して、たんなるのっぺりした壁よりもいっそう強い遮断感を与える」(『ジンメル・コレクション』より「橋と扉」、ちくま学芸文庫p095)、
つまり、扉は、そこを通ってどこかに行ける可能性を秘めているだけに、閉じられているとかえって重苦しく感じられるわけです。
しかし、扉は、壁と違って開閉ができるという特徴(なんてアタリマエなこと!)に注目すればこうも言える。
(扉は)「扉の可動性が象徴しているもの、すなわちこの境界を超えて、いつでも好きな時に自由な世界へと羽ばたいていけるという可能性によって初めてその意味と尊厳を得るのだ」(同、p100)
扉は常に可能性を秘めている。
さて。
このジンメルの考え方は、鋭いんだけど、やっぱり西洋的な、「分ける」「分けない」の2分法があって、要するに彼にとっての扉は、開いているかしまっているかどっちか、なのだ。
AXSISMのお話を聞いていて改めて思ったのは、「分ける」と「分けない」の間には、恐ろしいほど多くの階層があって、日本建築はその階層をあいまいにするテクニックを山ほどもっている、ということだったのだった。
日本建築を西洋的な概念で改めて見ると、未だにかなり特殊で、だからこそ可能性もあるんだな。
そして、私たちもその微妙な感覚が感じ取れるということなんだな。
というわけで、今日はおしまい。

余分な脚注。
ジンメルが念頭においている「扉」は、部屋と部屋を隔てるドアではなくて、家の内と外を隔てるドアなので、そこだけちょっとご注意ください。