2009年10月31日
2009年10月30日
タイヤ跡


タイヤ跡、ではありません。出張先で見つけた、橋と道のつなぎ目。
ちなみに、甘いお菓子はかなり功を奏した様子。
甘いモノを食べて甘い気持ちに、と言うのはうちの妻の決まり文句なのだが、おみごと!
Posted by しぞーか式。 at
23:53
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2009年10月29日
甘い気持ちになろう
ちょっと大変な仕事で急きょ出張中。
体力的にもさるかことながら、まずは気持ちが。
しんどい現場では、どうしたってみんなの気持ちもささくれ立つわけですが、何ができるかなあ、と思って、とりあえず甘いお菓子を大量購入。
明日もいい日だといいけど。
体力的にもさるかことながら、まずは気持ちが。
しんどい現場では、どうしたってみんなの気持ちもささくれ立つわけですが、何ができるかなあ、と思って、とりあえず甘いお菓子を大量購入。
明日もいい日だといいけど。
Posted by しぞーか式。 at
23:14
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2009年10月28日
あたたかなへやで、はさみの音がする
映画『ココ シャネル』を、今更ながら見てきた。
また、大好きな映画が一つできた。
映画館で映画を見るのはもともと大好きなのだが、こうした親密な感じの映画を映画館で見られるのは、また格別な喜びだ。
この映画は、有名ブランド「シャネル」を立ち上げた女性の前半生を物語にしたもの。彼女は、一言で言えばキャリアウーマンの元祖だ。自ら経営するブランドで、女性をコルセットから解放し、黒という色の美しさを知らしめ、漁師が着る物だった白と青のマリンルックを流行らせて、女性の社会的地位が変わるのを服で表現した(もしかしたら、服で女性の地位を変革してしまったのかもしれない)。
伝記映画、というにはかなり脚色が加えられているが、そんなことは問題ではない。
シャネルという伝説的な存在が、ちゃんと私と地続きの存在として見えてくる。そういう意味では、マルグリット・デュラスという作家の自伝的作品を映画にした、『ラ マン』と近いかもしれない。
考えてみると、シャネルの笑っている写真って、見たことがない。いや、見たことがあるんだろうけど、彼女が幸せそうに笑っている姿って、想像できないのだ。いつもくわえタバコだったり、ほおづえをついていたり。(そういえば、私は生まれてこの方、一貫した嫌煙派なのだが、この映画の喫煙シーンは、悔しいけど美しかった。)不満足を見つけることが天才的に上手で、次々と現れる不満足と一生戦い続けた女性、みたいなイメージがあるのだ。
もしかしたら、この映画は、そのシャネルが、もし笑うならどんな場所で笑うのか、泣くならどんな場面で泣くのか、を描くことが最大のテーマだったのかもしれない。
彼女が恋人のスポーツカーに乗っているときの幸せそうな笑顔で、思わず涙ぐんでしまった。
すごく個人的な話なのだが、私の実家は小さな手芸店をやっている。子供の頃、その店で遊ぶのが好きだった。うちの店にはたくさんの裏地があって、それを注文された長さに計って、鋏を入れる。裏地は、ちょっと鋏を入れたあとは、すーっと鋏を先に押すだけで「シャー」っと、まっすぐ切れていく。私の記憶の中では、季節は冬で、ストーブの上にやかんがかかっていて、店の中は暖かで湿った空気が満ちていた。
『ココシャネル』で、その時の「シャー」、という音を久しぶりに聞いて、なんとも言えないなつかしい気持ちになった。
いや、なつかしいというだけではないな。何かが生まれる予感のようなものが、この音にはいつも宿っている。たぶん、その裏地を切る音にわくわくしていたお客さんたちの気持ちが、子供心にしみこんでしまったのかもしれないが。
ものすごく繊細な映画なので、あまり予備知識をいれずに見るほうが楽しいと思う。
ものを作るときの、ちょっと恐くてわくわくする感じを楽しみたい人には、とてもお勧めな映画。映画の中盤以降、ココが自分でデザインした服は、みんな、圧倒的に強く美しい。
今年のベストワンは、たぶんこれだろう。
『ココ・アヴァン・シャネル』/“Coco avant Chanel”(2009)
また、大好きな映画が一つできた。
映画館で映画を見るのはもともと大好きなのだが、こうした親密な感じの映画を映画館で見られるのは、また格別な喜びだ。
この映画は、有名ブランド「シャネル」を立ち上げた女性の前半生を物語にしたもの。彼女は、一言で言えばキャリアウーマンの元祖だ。自ら経営するブランドで、女性をコルセットから解放し、黒という色の美しさを知らしめ、漁師が着る物だった白と青のマリンルックを流行らせて、女性の社会的地位が変わるのを服で表現した(もしかしたら、服で女性の地位を変革してしまったのかもしれない)。
伝記映画、というにはかなり脚色が加えられているが、そんなことは問題ではない。
シャネルという伝説的な存在が、ちゃんと私と地続きの存在として見えてくる。そういう意味では、マルグリット・デュラスという作家の自伝的作品を映画にした、『ラ マン』と近いかもしれない。
考えてみると、シャネルの笑っている写真って、見たことがない。いや、見たことがあるんだろうけど、彼女が幸せそうに笑っている姿って、想像できないのだ。いつもくわえタバコだったり、ほおづえをついていたり。(そういえば、私は生まれてこの方、一貫した嫌煙派なのだが、この映画の喫煙シーンは、悔しいけど美しかった。)不満足を見つけることが天才的に上手で、次々と現れる不満足と一生戦い続けた女性、みたいなイメージがあるのだ。
もしかしたら、この映画は、そのシャネルが、もし笑うならどんな場所で笑うのか、泣くならどんな場面で泣くのか、を描くことが最大のテーマだったのかもしれない。
彼女が恋人のスポーツカーに乗っているときの幸せそうな笑顔で、思わず涙ぐんでしまった。
すごく個人的な話なのだが、私の実家は小さな手芸店をやっている。子供の頃、その店で遊ぶのが好きだった。うちの店にはたくさんの裏地があって、それを注文された長さに計って、鋏を入れる。裏地は、ちょっと鋏を入れたあとは、すーっと鋏を先に押すだけで「シャー」っと、まっすぐ切れていく。私の記憶の中では、季節は冬で、ストーブの上にやかんがかかっていて、店の中は暖かで湿った空気が満ちていた。
『ココシャネル』で、その時の「シャー」、という音を久しぶりに聞いて、なんとも言えないなつかしい気持ちになった。
いや、なつかしいというだけではないな。何かが生まれる予感のようなものが、この音にはいつも宿っている。たぶん、その裏地を切る音にわくわくしていたお客さんたちの気持ちが、子供心にしみこんでしまったのかもしれないが。
ものすごく繊細な映画なので、あまり予備知識をいれずに見るほうが楽しいと思う。
ものを作るときの、ちょっと恐くてわくわくする感じを楽しみたい人には、とてもお勧めな映画。映画の中盤以降、ココが自分でデザインした服は、みんな、圧倒的に強く美しい。
今年のベストワンは、たぶんこれだろう。
『ココ・アヴァン・シャネル』/“Coco avant Chanel”(2009)
タグ :ココ シャネル
2009年10月27日
進化する

家にあった半端なレンガ。子供たちの遊び道具になっている。これはバーベキュー。そして……

これはジェットコースター。

ジェットコースターは、すぐに、顔つきの怪獣になってしまった。
Posted by しぞーか式。 at
20:33
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2009年10月26日
初めての悪い夢
先ほどの話の続き。
その日曜までの大仕事を終えて、爆睡した時に悪い夢を見た。
「会議に出席している途中、ふっと、忘れてはならないものを忘れてしまったことに気がつく。
(夢なので、今思い出しても何を忘れたのかは判然としないのだが。)
会議は和やかに、順調に進行中。でも、この場が間もなく壊れるのを、私だけは知っている。」
そういう夢。
ちょっとリアルで怖かった。
学生の頃のテストの夢はたま〜に見るのだが、仕事の場面を夢で見たのは初めてかもしれない。
間違いなくやる、っていうの、昔からにがてだったけど、まさか夢にまで見るほど嫌だったわけだな……。
その日曜までの大仕事を終えて、爆睡した時に悪い夢を見た。
「会議に出席している途中、ふっと、忘れてはならないものを忘れてしまったことに気がつく。
(夢なので、今思い出しても何を忘れたのかは判然としないのだが。)
会議は和やかに、順調に進行中。でも、この場が間もなく壊れるのを、私だけは知っている。」
そういう夢。
ちょっとリアルで怖かった。
学生の頃のテストの夢はたま〜に見るのだが、仕事の場面を夢で見たのは初めてかもしれない。
間違いなくやる、っていうの、昔からにがてだったけど、まさか夢にまで見るほど嫌だったわけだな……。
Posted by しぞーか式。 at
23:52
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2009年10月26日
朝もはよから目はらんらんと
おととい、土曜日の朝のこと。仕事がなかなか終わらず、二時間ほど寝てまた出勤しようと、いったん帰宅したのが朝の六時。
眠くて眠くてやっとドアを開けたら、姫(小3女子)と、もらっちや王(5歳男子)が、早起きして、遊ぶ気満々でテレビ前にいた。姫はともかく、もらっちや王は、久しぶりに父と会ったこともあってか、いきなりハイテンション。
「おとうさん、これからシンケンジャー見る?」だって。
絶句......。
考えてみたら、土曜日は朝早くからアニメがある日なのだった。
ちなみに、私はそれでも時間までたっぷり眠って、無事お仕事は完了。
眠くて眠くてやっとドアを開けたら、姫(小3女子)と、もらっちや王(5歳男子)が、早起きして、遊ぶ気満々でテレビ前にいた。姫はともかく、もらっちや王は、久しぶりに父と会ったこともあってか、いきなりハイテンション。
「おとうさん、これからシンケンジャー見る?」だって。
絶句......。
考えてみたら、土曜日は朝早くからアニメがある日なのだった。
ちなみに、私はそれでも時間までたっぷり眠って、無事お仕事は完了。
Posted by しぞーか式。 at
22:35
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2009年10月25日
オーク復活

奥様の骨折で12日間休業していたそう。
もう通常営業なので、オークの味に飢えていたかたは是非!
Posted by しぞーか式。 at
15:46
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2009年10月24日
「危ない」の三乗
さっき雨の夜道を歩いていたら、歩道を傘をさして自転車でぶっ飛ばして
いるおばさんに出会った。
あっぶないなー、と思わず顔を見たら、夜道にサングラス!
いるおばさんに出会った。
あっぶないなー、と思わず顔を見たら、夜道にサングラス!
Posted by しぞーか式。 at
22:21
│Comments(2)
2009年10月23日
□知らなかった

:::::::::::::::::::::::::::
核のゴミの処分方法は、まだ確立していない。
そのことを
□ 知っていた
□ 知らなかった
:::::::::::::::::::::::::::;
みたいな、意地悪なパロディを誘発する広告だ。
広告主はこれが効果があると思い、大枚のお金を使っているんだなあ。
そのことを思うと、衝撃すら感じる。
こんなにズレた人たちが原子力を支えてきたんだな、と。
でも、そのことは
□ うすうす知っていた
Posted by しぞーか式。 at
19:07
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2009年10月22日
2009年10月21日
2009年10月20日
未来世紀シズオカ

東静岡駅北口。
ただっ広いスペースに椅子が一個もないのが、スゴイ違和感だなあ。
タルコフスキーの映画で、日本の高速道路が未来空間としてちゃっかり使われていたけど、まさにあんな感じ。
エスカレータの前に立つと、きゅいーん、と死んでいたエレベータが動きだす。
「足もとにご注意ください」というナレーションが機械的に繰り返される。
声はソフトなのだが、繰り返されることばの間に全く間がない。たとえばこんな感じ。
足もとにご注意ください足もとにご注意ください足もとにご注意ください足もとにご注意ください
繰り返し聞いていると、息苦しくなってきてたまらなくなってくる。
私は、たとえば映画で登場人物が水に飛び込むと、息を止めてながら見てしまうタイプなので、不自然に水中シーンが長いと、息苦しい。
そういう感応力を持っていては、この未来空間では生きていけない。
----
……
ここでSF映画を撮るの、いいかも。
Posted by しぞーか式。 at
23:41
│Comments(0)
2009年10月19日
2009年10月18日
ペンキ塗り

たまたまハックルベリーフィンが通りかかったので、わざと楽しそうに仕事をすると、ハックルベリーフィンはどうしてもやりたくなって、結果トムは面倒なペンキ仕事から逃れられた、というお話。
今日亀の水槽洗いがあったので、この作戦をもらっちゃ王に仕掛けてみると……。
結果はご覧の通り。
Posted by しぞーか式。 at
22:29
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2009年10月17日
つぶやきのかなたに。
実は、夏まえごろから、ツイッター(Twitter)をはじめている。
最近ではニュースなどにも登場したりしているので、気になっている方もいるかと思う。
(You-Tubeのニュースをまとめたサイトもあるので、関心のあるかたはぜひ。)
まずは一般的な説明をしておくと、3年前にアメリカで始まった、文字制限が140字の「ミニブログ」だ。字数が少なく、パソコンやiPhoneなどから手軽に「つぶやける」。
そして、ファッション、食、経済情報など、自分が気になる分野に強い書き手を探して登録する(フォローという)と、彼らのつぶやきがリアルタイムで読める。
今年から日本語サービスが始まり、先日は日本のケイタイからも使えるようになり、いよいよ注目を集めている。
実際のところ、テレビで「140文字のミニブログ」とか、「おなかが減ったとつぶやくメディア」、「全く新しいコミュニケーションの形」、とかいわれても、何が面白いのかぴんとこないのではないだろうか。
当然だ。実のところ、ツイッターの魅力は、そういうところには(さほど)ない。
本当に面白いのは、まず、ミクシィやブログなどの旧来のウエブメディアに比べて、他者との関わりがさらに「浅い」こと。
そして、お次は情報の圧倒的な量だ。実際に利用者を見てみると、お気に入り筆者のフォローを、何百人、何千人とやっているユーザーも少なくない。
こんなにフォローしていると、当然ながら、短い時間でもたくさんの投稿が集まってしまい、全て目を通すだけ大変だ。実際、登録した全ての筆者のコメントをいちいち読まない人も多いと思われる。
そういうわけで、実際にツイッターで投稿し、読むユーザーの多くは、「誰に読まれているか判らない」「返事が来ないのが前提」「たまたま誰かが読んで、返信してくれたらラッキー」ぐらいの軽い認識で書いており、この図抜けた気楽さが大きな特徴だ。
しかし、私が、本当にツイッターが面白いと感じ始めたのは、おおぜいで一つの体験をつぶやきあう、という場面を目にしたとき。
実は、先日の静岡の地震のときのことだった。
発災直後は残念ながら全くツイッターに触る余裕がなかった。
なので、これはあとで検索してわかったことなのだが、様々な人が自分の身近な被害についてツイッターで語っていた。そして、その報道を見た感想や、応援の声かけも、(おそらく)県外からも多数集まっていた。
これを見て、私は、一人ひとりが発することのできる情報量は少ないけど、「共通な体験についておおぜいが語る」ことができる、面白いメディアだなあ、と感じたのだった。
その意味で、私がツイッターと出会ったごくごく初期に、静岡地震を経験したのは、とても意味があることだった。
(余談だが、、、、
これが、ちょっと抽象的な話になると、どうしても何かを叩いたりするような単一の反応になって面白くない。
例えば、鳩山政権についてとか、金融政策とかを見ていると、誰か強烈な一言やキャッチコピーを言ったとたん、それに流されて会話が整理されていってしまい、よくネットで見るような、カゲキだけど底の浅い議論に落ちてしまうことも多い。
おそらく、メディアの性格的に、抽象的なことを論じたり、何かを結論が出るまで議論したりする場としては向いていないのだろうと思う。
以上、余談終わり)
さて、今日も加藤和彦さんがなくなったニュースがあり、私はこれを2時ごろにツイッターで初めて知った。速さから言えば、もちろん、1時にトクダネとして放送したNHKが一番早い。
だけど、テレビを見ていない人たちの間では、こうした速報は、むしろツイッターを通じてささやかれ、すばやく広がっていった。
こうした、速報と言う意味でも、ますます意味が出てくるだろう。
信憑性をうんぬんされる向きもあるかもしれない。確かに、ショッキングな誤報が広がりやすい傾向はある。(ハリーポッターの「ハーマイオニー」死亡説など。)しかし、それが誤報とわかるやいなや、修正の140文字が飛び交うので、一般レベルのネットリテラシーをもっている方なら、さほどストレスを感じずに情報を捌いていけるのではないかと思う。
さらに、毎日新聞や、海外の新聞メディアも、ツイッターを使ってニュースを配信し始めている。
とりあえず第一報的な一行ニュースはツイッターで読み、より詳しく知りたいときは、その下に書いてあるURLから新聞社のニュースページへ飛ぶ、という形式だ。
とにかく、旧メディアとのすみわけも含め、かなり流動的なので、今後どうなるかとても楽しみなところではある。
さて。
最初に紹介した、ユーチューブでのニュースでは、コメンテータがみな「私はやったことがありませんが」と一様に言っていて、面白かった。
こうして文章に書いてみて改めて思ったのだが、ツイッターの面白さは、ある期間やってみないと、どうにもわからないようになっている。そして、文章や形にして見せるのも難しいタイプの面白さなのだ。
テレビという、即物的で目に見える形で提示しなければいけないメディアでツイッターを紹介する苦労も、今日書いてみて、改めて実感した。
うーん、うまくこの面白さの一端を伝えられたとは思わないけど、今日はこのへんにしておこう。
最後に。
実際のところツイッターの面白さは、「誰をフォローするか」、でほぼ決まる。基本的には、自分が面白いと思った人が誰の記事を読んでいるのか、を読んで、自分のお気に入りの人を見つけていくことになるのだが、これが意外と大変なのだ。
ここが、もっと効率的にできれば、本当の爆発が起こるのでは、と思っている。
最近ではニュースなどにも登場したりしているので、気になっている方もいるかと思う。
(You-Tubeのニュースをまとめたサイトもあるので、関心のあるかたはぜひ。)
まずは一般的な説明をしておくと、3年前にアメリカで始まった、文字制限が140字の「ミニブログ」だ。字数が少なく、パソコンやiPhoneなどから手軽に「つぶやける」。
そして、ファッション、食、経済情報など、自分が気になる分野に強い書き手を探して登録する(フォローという)と、彼らのつぶやきがリアルタイムで読める。
今年から日本語サービスが始まり、先日は日本のケイタイからも使えるようになり、いよいよ注目を集めている。
実際のところ、テレビで「140文字のミニブログ」とか、「おなかが減ったとつぶやくメディア」、「全く新しいコミュニケーションの形」、とかいわれても、何が面白いのかぴんとこないのではないだろうか。
当然だ。実のところ、ツイッターの魅力は、そういうところには(さほど)ない。
本当に面白いのは、まず、ミクシィやブログなどの旧来のウエブメディアに比べて、他者との関わりがさらに「浅い」こと。
そして、お次は情報の圧倒的な量だ。実際に利用者を見てみると、お気に入り筆者のフォローを、何百人、何千人とやっているユーザーも少なくない。
こんなにフォローしていると、当然ながら、短い時間でもたくさんの投稿が集まってしまい、全て目を通すだけ大変だ。実際、登録した全ての筆者のコメントをいちいち読まない人も多いと思われる。
そういうわけで、実際にツイッターで投稿し、読むユーザーの多くは、「誰に読まれているか判らない」「返事が来ないのが前提」「たまたま誰かが読んで、返信してくれたらラッキー」ぐらいの軽い認識で書いており、この図抜けた気楽さが大きな特徴だ。
しかし、私が、本当にツイッターが面白いと感じ始めたのは、おおぜいで一つの体験をつぶやきあう、という場面を目にしたとき。
実は、先日の静岡の地震のときのことだった。
発災直後は残念ながら全くツイッターに触る余裕がなかった。
なので、これはあとで検索してわかったことなのだが、様々な人が自分の身近な被害についてツイッターで語っていた。そして、その報道を見た感想や、応援の声かけも、(おそらく)県外からも多数集まっていた。
これを見て、私は、一人ひとりが発することのできる情報量は少ないけど、「共通な体験についておおぜいが語る」ことができる、面白いメディアだなあ、と感じたのだった。
その意味で、私がツイッターと出会ったごくごく初期に、静岡地震を経験したのは、とても意味があることだった。
(余談だが、、、、
これが、ちょっと抽象的な話になると、どうしても何かを叩いたりするような単一の反応になって面白くない。
例えば、鳩山政権についてとか、金融政策とかを見ていると、誰か強烈な一言やキャッチコピーを言ったとたん、それに流されて会話が整理されていってしまい、よくネットで見るような、カゲキだけど底の浅い議論に落ちてしまうことも多い。
おそらく、メディアの性格的に、抽象的なことを論じたり、何かを結論が出るまで議論したりする場としては向いていないのだろうと思う。
以上、余談終わり)
さて、今日も加藤和彦さんがなくなったニュースがあり、私はこれを2時ごろにツイッターで初めて知った。速さから言えば、もちろん、1時にトクダネとして放送したNHKが一番早い。
だけど、テレビを見ていない人たちの間では、こうした速報は、むしろツイッターを通じてささやかれ、すばやく広がっていった。
こうした、速報と言う意味でも、ますます意味が出てくるだろう。
信憑性をうんぬんされる向きもあるかもしれない。確かに、ショッキングな誤報が広がりやすい傾向はある。(ハリーポッターの「ハーマイオニー」死亡説など。)しかし、それが誤報とわかるやいなや、修正の140文字が飛び交うので、一般レベルのネットリテラシーをもっている方なら、さほどストレスを感じずに情報を捌いていけるのではないかと思う。
さらに、毎日新聞や、海外の新聞メディアも、ツイッターを使ってニュースを配信し始めている。
とりあえず第一報的な一行ニュースはツイッターで読み、より詳しく知りたいときは、その下に書いてあるURLから新聞社のニュースページへ飛ぶ、という形式だ。
とにかく、旧メディアとのすみわけも含め、かなり流動的なので、今後どうなるかとても楽しみなところではある。
さて。
最初に紹介した、ユーチューブでのニュースでは、コメンテータがみな「私はやったことがありませんが」と一様に言っていて、面白かった。
こうして文章に書いてみて改めて思ったのだが、ツイッターの面白さは、ある期間やってみないと、どうにもわからないようになっている。そして、文章や形にして見せるのも難しいタイプの面白さなのだ。
テレビという、即物的で目に見える形で提示しなければいけないメディアでツイッターを紹介する苦労も、今日書いてみて、改めて実感した。
うーん、うまくこの面白さの一端を伝えられたとは思わないけど、今日はこのへんにしておこう。
最後に。
実際のところツイッターの面白さは、「誰をフォローするか」、でほぼ決まる。基本的には、自分が面白いと思った人が誰の記事を読んでいるのか、を読んで、自分のお気に入りの人を見つけていくことになるのだが、これが意外と大変なのだ。
ここが、もっと効率的にできれば、本当の爆発が起こるのでは、と思っている。
タグ :twitter
2009年10月16日
ほかほか。
先日、川根に行ったことを書いたけど、これが最後のリポート。
この日は、里の駅に寄ったり、川根のSLに乗ったりと、盛りだくさんの一日だった。

そして、シメ。
川根温泉に寄った。
温泉の写真はなくて申し訳ないのだけれど。
気になる方はまあホームページを見てください。
川根温泉。ふれあいの泉
ドライブのあと、そこそこ疲れたところで温泉に行くというのは、これはかなりの快楽。

もらっちゃ王と私二人の男子グループと、女子グループに分かれ、お風呂に入った。
当然女子グループは遅くなるわけで、待っているうちにこんなの発見。

鮎のから揚げ。
そして、、、、、

トマトとカモのサラダ。

こういう料理とともに、なぜかむやみに広いカラオケステージを無意味にごろごろするもらっちゃ王を肴にビールを飲みつつ、女子軍団があがってくるのを待つ。
至福のひと時だった。
本とは、フルッタフレスカに行きたかったのだけど、このスケジュールではムリだった。
でも、秋の一日、ドライブ、SL、温泉と、楽しみつくしてしまった。
そう思うと、今忙しいのも仕方がないな、こりゃ。
川根温泉
〒428-0101
静岡県島田市川根町笹間渡220
TEL:0547-53-4330(温泉代表) FAX:0547-53-4334
TEL:0547-53-4110(コテージ代表) FAX:0547-53-4112
温泉バーデ・営業時間:9:00~21:00(最終受付20:30)
この日は、里の駅に寄ったり、川根のSLに乗ったりと、盛りだくさんの一日だった。

そして、シメ。
川根温泉に寄った。
温泉の写真はなくて申し訳ないのだけれど。
気になる方はまあホームページを見てください。
川根温泉。ふれあいの泉
ドライブのあと、そこそこ疲れたところで温泉に行くというのは、これはかなりの快楽。

もらっちゃ王と私二人の男子グループと、女子グループに分かれ、お風呂に入った。
当然女子グループは遅くなるわけで、待っているうちにこんなの発見。

鮎のから揚げ。
そして、、、、、

トマトとカモのサラダ。

こういう料理とともに、なぜかむやみに広いカラオケステージを無意味にごろごろするもらっちゃ王を肴にビールを飲みつつ、女子軍団があがってくるのを待つ。
至福のひと時だった。
本とは、フルッタフレスカに行きたかったのだけど、このスケジュールではムリだった。
でも、秋の一日、ドライブ、SL、温泉と、楽しみつくしてしまった。
そう思うと、今忙しいのも仕方がないな、こりゃ。
川根温泉
〒428-0101
静岡県島田市川根町笹間渡220
TEL:0547-53-4330(温泉代表) FAX:0547-53-4334
TEL:0547-53-4110(コテージ代表) FAX:0547-53-4112
温泉バーデ・営業時間:9:00~21:00(最終受付20:30)
タグ :川根温泉
2009年10月15日
2009年10月14日
名残


屋根の名残りが、ひさしのこんなディテールまで残っていることにしばし感心。
ただし、こう残っている理由は、びっくりするほど俗人的だったりする。
ここはどうかな、、、
まあ、深く考えないでおこう。
Posted by しぞーか式。 at
21:15
│Comments(2)
2009年10月13日
もろもろ。
早くも、もらっちゃ王(5歳男子)が、年末商戦クリスマスプレゼントモードに入ってきた。
先日までトイレに貼ってあった姫(小3女子)用の、漢字や九九のポスターがはがされるや否や、早速トイザラスの巨大広告が貼ってある。
もらっちゃ王によれば、クリスマスの準備とか。
「ほしいものをきめておかないと、サンタさんが困るでしょ。」
え、そんなに先のこと、今準備しなくてもいいでしょ、と言ったら、
「おとうさんの誕生日に欲しいものをさがしたらいいよ」
と一言。
いやあ、おとうさん、ライダー系は一応卒業したんだけど。
もらっちゃ王の「モノ」への執着はおもしろくて、すごくあっさりした執着なのだ。
とりあえず「お気に入り」のものは近くにないとすごくいやで、ずっとそばに置いておくし、一緒に寝る。
ないとものすごく泣いたりする。
でもその一方で、いったん忘れるとどうでもいい。
手に触れているものへの欲望の深さ。
そして、逆に、いったん触れない場所へいってしまったときの淡白さ。
もらっちゃ王の欲望の即物性というのは、見ていて、ちょっと痛快になる。
先日までトイレに貼ってあった姫(小3女子)用の、漢字や九九のポスターがはがされるや否や、早速トイザラスの巨大広告が貼ってある。
もらっちゃ王によれば、クリスマスの準備とか。
「ほしいものをきめておかないと、サンタさんが困るでしょ。」
え、そんなに先のこと、今準備しなくてもいいでしょ、と言ったら、
「おとうさんの誕生日に欲しいものをさがしたらいいよ」
と一言。
いやあ、おとうさん、ライダー系は一応卒業したんだけど。
もらっちゃ王の「モノ」への執着はおもしろくて、すごくあっさりした執着なのだ。
とりあえず「お気に入り」のものは近くにないとすごくいやで、ずっとそばに置いておくし、一緒に寝る。
ないとものすごく泣いたりする。
でもその一方で、いったん忘れるとどうでもいい。
手に触れているものへの欲望の深さ。
そして、逆に、いったん触れない場所へいってしまったときの淡白さ。
もらっちゃ王の欲望の即物性というのは、見ていて、ちょっと痛快になる。
タグ :殿姫もらっちゃ王