2011年06月25日

かめのきち



もらっちゃ王が作ってくれた、亀の基地。亀の水槽を洗う間、亀を入れておく場所だ。
最近、この亀が大きくなってしまって、ひょっとした拍子にレンガ二段ぐらいは乗り越えてしまうので、『カメ返し』をつけてくれた。

なんとはなしに、亀型に見えるところにご注目。

  


Posted by しぞーか式。 at 22:52Comments(0)

2011年06月24日

あっ。


もらっちゃ王が思わず立ち止まった風景。
  


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2011年06月24日

ピラミッド





しばらく出張なので、そもそも静岡の話ができない。

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というわけで、先日撮った写真を。
もらっちゃ王の発案で、父が作った帽子。というか、本当は仮面ライダーのドリルらしいのだが、もう、なんでもありになっちゃっているのがもらっちゃ王らしい。
  


Posted by しぞーか式。 at 00:00Comments(0)しぞーかに暮らす

2011年06月21日

五日かかってる。

今日、姫(小5女子)が、『365歩のマーチ』って知ってる?と聞いてきた。

姫が、「5日で1歩くって悲しいねえ」というので、3日じゃないの?と聞いたら、返事。

一日一歩ずつ歩くでしょ?三日で三歩歩いて、あとの二日は一歩ずつ下がるから、五日かかるんだよ。

確かに。
今までずっと、勘違いしてた。
  


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2011年06月19日

きょうは。

きょうは なにをしたか おぼえていません

ってのはもらっちゃ王の先日の日記だけど。

王にならって、ブログを毎日書くのはやめとこうかな、今は。
言いたいことがない日、ってのを大切にしつつ、今日は雨。
  


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2011年06月17日

わからない映画。

松本人志監督の『さや侍』を見た。
この作品は…褒める人が少ないのが容易に想像できるので、あえて絶賛してみよう。実際、絶賛に価すると思う。

主人公の娘を演じる女の子がいい。映画の前半、彼女は全く笑わない。彼女の、眉間にシワを寄せた表情は、シャルロット ゲーンスブール、バネッサ バラディなどに通じる、フランス的不機嫌顔。彼女は映画の進行中、ほぼフラットに不機嫌な表情を続けるのだが、物語の進展とともに、かえって秘めた想いが見える気がする所など、演出って面白いなと思う。エイゼンシュテインのモンタージュ理論。

そして、主人公。(江戸時代に下級武士がメガネなどかけられたか疑問なのだけれど…とにかく…。)彼がかけている、ジョン レノン風の丸めがねは、バスター キートンへのオマージュに見えた。絶対に笑わず、絶体絶命のピンチすら無言の無表情で走り抜ける、唯一無二の存在感。クール。
そして、最後に見せる武士としての矜恃。

この映画の何が凄いって、エンディングに至るまで、主人公が何を考えているのか一切見えないことだ。
途中でさしはさまれる、妻を病で失ったエピソードから、なぜ彼がこんな自閉的な人になったかのヒントは示される。それでも、主人公の感情は見えないまま。見ているこちらも、彼への感情移入めいたものは、ほんとうに映画の最後にならないと沸いてこない。でも、それ故に、何度もくりかえして登場する、主人公が肩を落として町を歩くシーンで、彼の存在感がどんどん増していくのだ。
さらに、終わりでの主人公の感情の爆発(と言っていいんだろうな)があり、そこで初めて彼が魅力的に見えてくる。脚本と演出のたくらみに満ちた松本マジック。


彼は、映画の登場人物としてはかなり異形だと思う、この主人公を描ききった時点で、松本人志は並大抵の作家ではない。

松本はもう映画の枠の中に留まらないかもしれないという危惧を感じつつ、それでもいいか、と期待も感じる、圧倒的な映画だった。
  


Posted by しぞーか式。 at 21:17Comments(0)しぞーかでアート

2011年06月16日

赤星再び。


震災で製造がストップしていたサッポロビールのラガー、通称『赤星』。

三日前から、静岡でも飲めるようになったらしい。ゆっくり、回復しているんだなあ。

応援、というわけではないが、青葉横丁『三河屋』で一献。
  


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2011年06月15日

現代の看板建築


宮殿のふりした民家。

看板建築というのは、関東大震災後に大流行した、洋館風の壁に飾られた日本建築。静岡でも、三島辺りには数多く残っているらしいけど、これはそのニューウエーブ。
静岡市駿河区で発見。  


Posted by しぞーか式。 at 10:36Comments(2)

2011年06月14日

行き止まりのその先に

三島駅を降りて5分ほど。普段降りる側と逆なので、今まで知らなかった。



行き止まり、という看板の本当にすぐ先に、気になる白壁の建物。


ん、この看板の字はもしや。



やはり、望月通陽さんの字だったか。壁にも、望月さんの作品が。



ちょっと遅い時間だったんだけど、いいですよ、と言っていただいて野菜カレーを食べた。
おおぶりの莢に入った豆がおいしかった。



静岡県三島市文教町1-1-35
(三島駅北口を東に行ったところ。ちょっと分かりにくいです)
9:00~19:00 日月休み
電話 055-986-5403

  


Posted by しぞーか式。 at 19:10Comments(0)しぞーかを味わう

2011年06月13日

鼻入れ

真静岡駅の近く、葉山コーヒーのテイクアウトカップ。



飲み口の上のあたりにあるくぼみ、何かと思えば、飲み終わるあたりでカップをぐっと上げるでしょ、あの時に鼻の先端が入るところだった。

  


Posted by しぞーか式。 at 07:09Comments(2)しぞーかに暮らす

2011年06月12日

速度ゼロのロードムービー



ふじのくにせかい演劇祭の、『ウエルカム・トゥ・ノーウェア』を見てきた。場所は、舞台芸術公園野外劇場「有度」。前回『エクスターズ』でも通った道だけど、ほんとうによくこんなところに舞台や練習場を作ったよな、というところにある。

ごらんの通り、茶畑を抜けていく。ちょっと茶畑が荒れていて、こんなところにも静岡茶のさわぎの影響があったのかなあ、と邪推する。



今回は、公園ではなくDVD鑑賞会。本来は普通に上演するはずだったのだが、311の地震以降のもろもろの状況の変化で、役者やスタッフが来日できず、結局映像のみを無料で公開するということになったらしい。
冒頭、宮城聰さんから、なぜ今回役者が来日しなかったか、ということについて若干のレクチャー。海外では原発事故とそれに伴う放射能汚染がかなり報道されていて、スタッフや役者が怖がったのが、来日できなかった大きな理由とのこと。(逆に、今来日してくれている劇団は、「そんな日本だからこそ見てもらいたい」という強い気持ちでやってきているとのことだった。)



上映された作品は、劇場を正面から一台のカメラでカット割などなしに正面から撮影したものなので、ほぼ、舞台と同じ感じで見ることができる。

舞台上半分には常にロードムービー風の映像が上映されていて(その映像自体のクオリティも非常に高い)、下半分には役者が立つスペースが作られて、随時出入りする。しかし、生身であるはずの役者は直立不動で、マイクを通じて台詞をしゃべる。生身なのに、とても間接的な宙に浮いた存在として舞台上にいるわけだ。一方、映像の方は生々しい恋愛や怒りなどの感情が盛り込まれていて、こちらのほうがかえってリアル。
映像と役者の関係も独特で、時には映像に生の役者がアテレコをしたり、映像の登場人物と舞台の役者が会話をしたり、、、、。様々なバリエーションが組み合わせられて、個人の輪郭がおぼろげになっていく。

・・・・というふうに感じるはずなのだけれど、その映像と舞台を一緒にまとめてのDVD上映なので、「自分がもし舞台でこれを見ていたら・・・」と、頭の中で補って見るしかなくて、これは、やっぱり生の舞台でみてこその作品なんだな、とちょっと残念に思った。

ストーリーはかなり悪趣味で、男の邪悪さがどんどん存在感を増す構成になっていて全体に救いがないのだけど、言葉遊び(ディズニーとDIZZYとか)や、映像と舞台の縦横無尽の組み合わせで、アメリカのリアルな町や草原や車が舞台になっているのに、神話的というか、寓話的と言うか、なにやら独特のテイストが生まれている。
それにしても、「人は、なしくずしにならば思いもよらない悪になりうる」というこのテーマ、原発から切り離してみることが出来なかった。
そうしか見られないのは、悲劇なのか、それとも311以降の当然の感覚なのか。不思議な余韻を残しつつ、バスで日本平から還ってきた。



  


Posted by しぞーか式。 at 23:59Comments(0)しぞーかでアート

2011年06月11日

焼きたて!




もらっちゃ王(小1男子)と姫(小5女子)のために、CDを焼いた(作った)。
だいぶ父の好みが入ってしまってはいるが。  


Posted by しぞーか式。 at 23:36Comments(2)しぞーかに暮らす

2011年06月10日

わすれました

学校の宿題で、毎日日記を書かされているもらっちゃ王(小1男子)。
ある日の日記は…

きょうは なにをしたか わすれました

って、正直すぎるよ、もらっちゃ王。正直すぎて凄みまで感じる。
  


Posted by しぞーか式。 at 00:34Comments(0)しぞーかに暮らす

2011年06月09日

空を見ろ!




青空のもと、亀が空を飛んでいました(嘘)。

  


Posted by しぞーか式。 at 07:10Comments(0)

2011年06月08日

「ただそこにいること」について

先週、舞台『エクスターズ』を見てきた。

そもそも、バスに乗って日本平の坂道を延々のぼっていくところから、すでに演劇は始まっているのだろう。逢魔ヶ時にたどり着いた舞台には、高さ10メートルもの板壁がめぐらされ、タイヤや滑り台、そのほかなんだかよくわからない遊具などが置かれている。
明かりが落ちて舞台が始まる瞬間、舞台下手の大きな木が風で揺れ、葉っぱがザーと鳴った。


精神分析医から劇作家になったという異色の経歴のタニノクロウさんの演出。6人の「おばあさん」と、3人の男が登場する、演劇ともなんともいいがたい、不思議なものを見てしまったような経験だった。
登場人物たちにはほとんど台詞はなく、ふつうのおばさんが歌うように歌い、踊るように踊っているうちに舞台は終わる。
一応章立てめいたものはあるのだけれど、それは、誰が何をどんな場所で歌うか、の目印になっている程度で、明確なストーリーはない。
なので、見ている間中、この空間とどう向き合っていいのかわからなくて、ときどき仕込んであるちょっとしたジェスチャーをつかった笑いどころにも乗れず、、、、終わった直後は、しばらく呆然としていた。

手のかかった舞台装置と、ほとんど唄だけで1時間強の時間を見せきる構成力には感心したのだけれど、おばあさんたちがなんだか「普通に生々しい」ので、寓話風にも見えず、強烈な印象は残しつつ、感想は言葉にならないというのが正直なところだったのだ。直後に感想を聞かれたら、「なんだかよくわかんなくて、すごくおもしろかったわけでもない」という、実も蓋もない感想しかいえなかったと思う。


舞台を見て数日たった今、急に舞台のことを書きたくなって、久しぶりにPCを立ち上げた。

実は、昨日、内田樹の、『映画の構造分析』を読んでいたら、精神分析とは、医者と患者が共謀して物語を作る作業である、と書いてあって、なんとなく自分なりにあの時間の意味が見えてきたような気がしたのだ。

内田さんによれば、「マザコン」だの「エディプスコンプレックス」だのが最初からあって病気になってしまうわけではない。逆に、患者の病歴と医者の個性(欲望、かもしれない)が相互作用しあって、「私はファザコンです」とかいうストーリーを遡及的に作り上げて、自分の今までの病気を「説明する」。説明が出来ることで、本人は治療に向かう、というのが内田さんの卓見だ。

あの舞台は、そういった精神分析的な説明がされる前の、混沌としたなにものかをそのまま舞台に乗せる試みなのかもしれない。あまりに混沌としているので、明確な感動も、喜び・悲しみもないのだけれど、じつは、人の感情の底流って、そんなふうに言葉にならない、微妙なさんざめきのようなものが、ただただ広がっているだけなんじゃないだろうか。


日本平の山腹という、巨大な場所が、「心」というものの比喩にすら思えてくる。バスで夕闇の道を進み、ゆきついたところに無意識のありかを探す旅。

演劇というよりは、体験に近い何物か。

そこには、なんだかわけのわからない混沌があって、私たちは時々そのなかに体を置くことで、なんだかわけのわからない安心な気持ちを得るのだ。

  


Posted by しぞーか式。 at 12:18Comments(0)しぞーかでアート