2009年09月01日
地図が読めない男(それは私)。
今日、もらっちゃ王(5歳男子)を幼稚園へ連れて行った。夏休み以来、久しぶりの登園だ。
いつものように、車で。
そうしたら、案の定、道を間違えそうになった。正確に言うと、「あ、間違えた」と思って、どうしようかと走っていたら、実は間違えてなかったことがだんだんわかってきた、ということなのだけれど。
わずか10分ほどの距離。もう何回通った道かわからないのに、間をおくとまたダメになっちゃう。
うちの妻はもう心得ていて、家を出る前に「道、わかる?」と聞いてきた。
馬鹿にするなよ、と言いたい気持ちをぐっとおさえて、「大丈夫だよ」と言ったけど、結局はこのざまである。
原因はなんとなくわかっている。
わたしは、道を、映像でしか覚えられないのだ。
重要な曲がり角を、絵で覚えていて、その絵に近いところにくると、あ、ここで右に曲がるんだな、と思い出す、という感じ。だから、ちょっと道路工事とかしていたり、夜で景色が違ったりすると、いくら通いなれた道でもとたんにわからなくなってしまう。
そういうわけで、たとえば、初めてのビルを歩いていてもすぐ道に迷ってしまう。
階段を上がるとする。踊り場で180度向きが変わると、もうとたんにどっちがどっちだかわからなくなるのだ。
普通、地図を見る人は、俯瞰的な位置関係をどこかで頭におきながら見るものだろうが、私は、地図をぐるぐる回し、地図の上のほうと目の前の方向とを必死に一致させながら見る。ハンドルと一緒に地図もまわしていて、忙しいったらない。
。。。。。情けない。
ちなみに、妻はすごく方向感覚がよく、見知らぬ道でもざっくりとしたナビならこなしてしまう。私はその命令にしたがってハンドルを切るだけである。
もらっちゃ王は、そんな父の苦悩をよそに、初日の幼稚園を満喫してきた。
もらっちゃ王、近所をうろうろするのは大好きみたいだし、なにより、父がいつもと違う方向にハンドルを切ると、ちがうよ、ちがうよ、と教えてくれる。どうやら、方向感覚は父よりかなりまともなようだ。
ぜひ、妻に似て、地図の読める男に仕上がって欲しいものだと、父は思っている。
いつものように、車で。
そうしたら、案の定、道を間違えそうになった。正確に言うと、「あ、間違えた」と思って、どうしようかと走っていたら、実は間違えてなかったことがだんだんわかってきた、ということなのだけれど。
わずか10分ほどの距離。もう何回通った道かわからないのに、間をおくとまたダメになっちゃう。
うちの妻はもう心得ていて、家を出る前に「道、わかる?」と聞いてきた。
馬鹿にするなよ、と言いたい気持ちをぐっとおさえて、「大丈夫だよ」と言ったけど、結局はこのざまである。
原因はなんとなくわかっている。
わたしは、道を、映像でしか覚えられないのだ。
重要な曲がり角を、絵で覚えていて、その絵に近いところにくると、あ、ここで右に曲がるんだな、と思い出す、という感じ。だから、ちょっと道路工事とかしていたり、夜で景色が違ったりすると、いくら通いなれた道でもとたんにわからなくなってしまう。
そういうわけで、たとえば、初めてのビルを歩いていてもすぐ道に迷ってしまう。
階段を上がるとする。踊り場で180度向きが変わると、もうとたんにどっちがどっちだかわからなくなるのだ。
普通、地図を見る人は、俯瞰的な位置関係をどこかで頭におきながら見るものだろうが、私は、地図をぐるぐる回し、地図の上のほうと目の前の方向とを必死に一致させながら見る。ハンドルと一緒に地図もまわしていて、忙しいったらない。
。。。。。情けない。
ちなみに、妻はすごく方向感覚がよく、見知らぬ道でもざっくりとしたナビならこなしてしまう。私はその命令にしたがってハンドルを切るだけである。
もらっちゃ王は、そんな父の苦悩をよそに、初日の幼稚園を満喫してきた。
もらっちゃ王、近所をうろうろするのは大好きみたいだし、なにより、父がいつもと違う方向にハンドルを切ると、ちがうよ、ちがうよ、と教えてくれる。どうやら、方向感覚は父よりかなりまともなようだ。
ぜひ、妻に似て、地図の読める男に仕上がって欲しいものだと、父は思っている。
タグ :地図