2009年04月14日
王侯の楽しみ
前述の、リュートと歌のコンサートに行ってきた。
リュートをナマで聞いたのは初めてだった。
昔、王様が眠れないときに寝室で引かせていた楽器だったらしい。
開放弦がたくさんあるせいか、弾いている間他の弦の鳴りもわずかに聞こえて、単音を弾いていても、「ふわーん」とふくらみがある。
・・・・などど、最初は耳珍しいリュートの音色に集中していたが、前半の中ごろからだんだん「音楽」が聞こえてきた。
歌い手の名倉さんは、過剰に歌い上げることなく、言葉やメロディーを丁寧に置いていく、紡いでいく感じ。
何度繰り返しても飽きないタイプのメロディー。
きっと、アイルランドの人たちは、こういう曲を聴きながら一緒に歌ったり踊ったりしていたんだろう。
演奏の合間のトークで、「こういう曲の歌詞では、よく人が死ぬんです」と解説されていたが、確かにそうで、例えば、アイルランド民謡の『トリ貝にムール貝だよ』では、
1.元気に貝を売っていた看板娘が、
2.熱病に倒れて死んでしまい
3.でも娘の魂が貝売りの歌を歌う
というストーリー。
これが、悪い冗談でもなく、労働者の悲惨さを歌うのでもなく、ましてや気の利いた短編小説のようでもなく、、、、、なんというか神話のように淡々と描かれていて、「死」の意味が今の私たちと違う事に驚く。
死は死なんだろうけど、「ふとしたことでまた会えるかも」という感覚なのか。
それとも、死んだ後も近くにいるという感覚なのか。
死が、今よりも少しだけ身近な感じ。
なんてことを考えながら、娘の幽霊が「トリ貝にムール貝、新鮮だよ!」と歌うところで、涙腺がゆるんだ。
安部公房に『死んだ娘が歌った・・・』という短編があるけど、この中の「死」と手触りが似てる。
どんどん聞き進んでいくと、次第に曲と曲の境目がなくなって、地上3センチ浮いているぐらいの非日常の心地よさ。
ふわりとくつろげた2時間弱だった。
リュートをナマで聞いたのは初めてだった。
昔、王様が眠れないときに寝室で引かせていた楽器だったらしい。
開放弦がたくさんあるせいか、弾いている間他の弦の鳴りもわずかに聞こえて、単音を弾いていても、「ふわーん」とふくらみがある。
・・・・などど、最初は耳珍しいリュートの音色に集中していたが、前半の中ごろからだんだん「音楽」が聞こえてきた。
歌い手の名倉さんは、過剰に歌い上げることなく、言葉やメロディーを丁寧に置いていく、紡いでいく感じ。
何度繰り返しても飽きないタイプのメロディー。
きっと、アイルランドの人たちは、こういう曲を聴きながら一緒に歌ったり踊ったりしていたんだろう。
演奏の合間のトークで、「こういう曲の歌詞では、よく人が死ぬんです」と解説されていたが、確かにそうで、例えば、アイルランド民謡の『トリ貝にムール貝だよ』では、
1.元気に貝を売っていた看板娘が、
2.熱病に倒れて死んでしまい
3.でも娘の魂が貝売りの歌を歌う
というストーリー。
これが、悪い冗談でもなく、労働者の悲惨さを歌うのでもなく、ましてや気の利いた短編小説のようでもなく、、、、、なんというか神話のように淡々と描かれていて、「死」の意味が今の私たちと違う事に驚く。
死は死なんだろうけど、「ふとしたことでまた会えるかも」という感覚なのか。
それとも、死んだ後も近くにいるという感覚なのか。
死が、今よりも少しだけ身近な感じ。
なんてことを考えながら、娘の幽霊が「トリ貝にムール貝、新鮮だよ!」と歌うところで、涙腺がゆるんだ。
安部公房に『死んだ娘が歌った・・・』という短編があるけど、この中の「死」と手触りが似てる。
どんどん聞き進んでいくと、次第に曲と曲の境目がなくなって、地上3センチ浮いているぐらいの非日常の心地よさ。
ふわりとくつろげた2時間弱だった。