2009年06月14日

スノド『転校生』企画緊急リポート(?)

先ほど、スノドカフェの「『転校生』トーク・パート2」を終えて帰ってきた。
夜の狐ヶ崎って、あんなにタクシーが拾えないとは思わなんだ。。。。。
いやいや、そんなことはどうでもよくて。

なんと、『転校生』の演出家、飴屋法水さんと、出演の「女子高生」たちを交えたトーク企画があったので、その報告です。
まずは、スノドカフェの『転校生』企画のアウトラインををおさらいすると、、、、。

2007年、静岡県内の現役の女子高校生が女子高校生役を演じる『転校生』という演劇が上演された。脚本は平田オリザ、演出は飴屋法水。
2009年3月、ほとんどキャストを変えずに静岡と東京で再演。
この静岡公演の日、清水の「スノドカフェ」で、『転校生』を見た人たちが集まり、劇について語り合うという試みがあった。
その後、イベントの参加者のブログ・ミクシィなどで、延々『転校生』についての議論・感想発表が書かれ、収まらず。「見た人が何かしら語りたくなってしまう演劇」であることがだんだん解ってきた。

という流れで、今日の(もう昨日になってしまいましたが)イベントが開かれた、というわけ。

会は、夜9時を回ってから人が集まり始め、飴屋さん、女子高生達が登場すると、一挙に同窓会モードに突入。飴屋さんから見た女子高生、女子高生から見た飴屋さん、などレアトークが炸裂した。


この中で、飴屋さんは、「普通、役者さんと仕事をしていると絶対思わないけど、「この子達のためなら死んでもいい」と思ったんですよ」と語っておられたのが印象的だった。

この言葉には急いで解説が必要だ。いくら強調しても足りないぐらい、大切な解説が。

飴屋さんは、「死んでもいいと思った」という一言を、サラリと言ったわけではなくて、「こう言うと陳腐だけど。。。みんな(出演者の人たち)を前にしてちょっと何だけど。。。こう聞くと引いてしまう人もいるだろうけど。。。。。」と、延々ためらった後、「死んでもいいと思った」という発言に至った、ということ。
飴屋さんの、ためらいつつ、常に正直に言葉を探しているような語り口に触れると、「本当にそう思っているんだなあ」と素直に思える。
そして、あわせて、自分の言葉がひとり歩きしてしまう事に、とても敏感かつ、自覚的な人なのだ、とも思った。


会場は30~40人はいるというスシづめ状態。そんななかで、いろんな所で同時多発的に興味深い話が行われているという状態で、もうもう、これは大変な事が起こっているな、という感じでした。


そんな中で、私に聞こえてきた飴屋さん語録。

飴屋さん、タラコスパゲッティを指して、
「この一皿に、いくつの命が入っているか、ということなんですよ。申し訳ないなという気持ちもある一方、この命をもらわないと自分は生きていけないんだ、という気持ちもある。表裏なんです」

「自分の子供がもし死んだら、絶対に泣き叫ぶと思います。でも、同時に、頭のどこかでは、命に価値なんてないんだ、しょうがないよな、とも考えている。どっちも本当で、その間を揺れている。」

「ジュディ&マリーのジョイという曲(?)があって、もともとのスタジオバージョンでは「偶然でなく必然」という歌詞があったんです。
でも、当時、ヴォーカルのユキさんが、子どもを1歳4ヶ月で亡くすという悲しい事があって、その後、ライブでは歌詞を「偶然という名の必然」と、訂正して歌っているそうです。つらい経験を経て、嘘じゃないものを歌いたいと思ったら歌詞を変えざるをえなかったんでしょうけど、その正直さは凄いと思った」


   ↑
**このJOYという歌について、事実誤認がありました。
** でも、あの夜の記録という意味ではあんまりいじりたくなくて、この次の日の記事
**「プラスマイナスゼロの跳躍~転校生について」に、訂正を載せました。
**ややこしくてすみません。


だんだんに話はディープになっていって。

私が印象的だったのは、飴屋さんの展覧会『バ ング ント展』で、24日間、暗室にこもる経験をした時の話。全くの暗闇で、時間感覚も消えている中で、何を感じ、終わって自分がどう変わったか、という話の流れで、、、、。

質問
「目が見えないほうが感覚が鋭くなるって言いますけど、あれって本当ですか?スティービー・ワンダーが凄いのは、音楽的な才能があるから凄いんであって、目が見えないから凄いんじゃないですよね」

これに対する飴屋さんの答。
「人間は、視覚からかなりの情報を得て暮らしているんです。視覚があれば、かなりの部分が予想できる。例えば、コカコーラを飲む時は、ビンを見て、これはコーラだという気持ちの準備をして飲んでいる。
そうすると、(たとえばコーラのビンにコーヒーが入っていて)、これコーラだよな、と思って飲むと、すぐにコーヒーだとはわからない。それどころか一瞬何の味ともわからなくなるんです。
視覚があるから、思い込みが生まれて、味覚が視覚に引きずられることを考えると、視覚がないぶん、先入観なく物事を感じられるということは絶対にあります」
「24日間、視覚に頼らない生活をしたことで、私も視覚以外の感覚に自覚的になったと思いますよ。」


まだまだあったはずですが、とりあえず、、、、、

「今日はこれぐらいにしといたるわ。」
(C)池野めだか


あ、思い出した。
くればやしさんに、「バナナを首から吊るすのって、誰が考えたんですか?」と聞いてみた。
そうしたら、「私が道具担当さんにお願いして、黄色い紐を用意してもらいました」だって。本人のアイディアだったんだ!
すかさず別な子が、「あれ、最後は変な匂いがしてたもんね」って突っ込んでましたが。



最後になりましたが、今日はメモなどとっていなかったので、事実誤認が多々あるかと思います。
是非是非、ご指摘頂いて、嘘のないようにしたいと思っていますので、参加していた方々、突っ込みをよろしくお願いします。



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Posted by しぞーか式。 at 02:58│Comments(4)しぞーかでアート
この記事へのコメント
報告はや!

毎度の事ながら、どこで何が語られているのか判らない状態でしたね。

又しばらく反芻の日々が続きそうです。



*JOYはジュディマリ解散後、ソロになってからの曲です。
Posted by コニタ at 2009年06月14日 07:36
いやー、すごく正確な情報だと思いますよ。
さすがです。

『バ ング ント展』の話しはそうだったんですね。
視覚は大切ですけど問題も多いですね。飴屋さんのお話には頷けます。

僕が一番印象に残ったのは「暗闇で聴いた蝉の声」ですね。
ちょっと感動ものでした。
Posted by スノドカフェ at 2009年06月15日 00:30
『バ ング ント展』の話も、「暗闇、せみの声」の話も、聞いてません!!
11時で中座したので、その後に盛り上がったのですね・・・。
「同時多発」だから、特に他の皆さんの報告読むのが楽しみです。
Posted by I.M at 2009年06月15日 18:13
私もあの場にいた者です。貴重な体験でしたね。

私が、箱入り話(笑)でもっとも感銘を受けた?のは、「こどもはつくらない」と決めていたのに、そのとき啓示を受けて、箱から出てからこどもをつくった、という話でした。そしてそのあと「転校生」の話が来た。・・・そしてあのイントロができた。お子さんが生まれてから、きっと「生」に対する飴屋さんの感覚は、より研ぎ澄まされたのではないでしょうか?そしてあの「転校生」の演出がうまれた。これは、「偶然という名の必然」ですよ、きっと!
Posted by SHIZU at 2009年06月15日 23:29
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