2011年02月07日
巣立ち
学生の頃、一年半ほど寮に暮らしていたことがある。
バンカラの気風が強い寮で、今思えば骨董的価値さえある非常にレアな場所だったのだが、自分の暮す場所はそこしかなかったし、日々はそれなりに楽しかった。
先輩たちが酒を飲んで帰って来て、深夜に寮の前で高歌放吟、寮歌を大声で歌っていたりすると、さすがにそういう甘えの感覚にはついていけなかったけれど、まあそれはそれ。
思い出しても笑ってしまうのは、合格して、書類で入寮を申請したあと、父母と一緒に寮を下見に行った時のことだ。
ヒトラーヒゲを蓄えた、おっちゃんといってもいいような風貌の人(あとで聞いたら寮生活7年という、寮の主みたいな人だった)がそこそこ高そうな車を寮の玄関で洗っていて、なんだこのエラそうな人は、と思ったこと。寮では年次が重んじられるので、自然、留年を重ねた人の方がエラいのだ。
そして、寮の暮らしはどんなものかと寮長の部屋を見せてもらったら、狭くて古くて、おまけに頭上には洗濯物まで干してあって、あまりのことに母親が泣き出してしまったこと。「こんなところで息子を何年も暮らさせるのか」というわけだ。そのあと、父と二人で、一生懸命母を説得したことを覚えている。
さて。
寮歌を覚えさせられたり、酒を飲まされたり、二人部屋で暮らしたりと、越えなければならないハードルが多すぎて、当時はその暮らしを価値判断する余裕もなかった。
たぶん、煙草は吸わない、麻雀もしないで、本ばっかり読んでいた私は周りからは浮いていたのだろうけど、まさにそのために、この寮で学部を越えた知り合いもできたし、とにかく淋しくはなかった。だから、行っていてよかったなあ、と今では思う。
やがて一年半後、ある意味寮の暮らしを味わい尽くしてしまって寮を出るわけだけど。
何が言いたいかというと……。
村上春樹の『ノルウェイの森』で描かれている寮という特殊な空間。あれを初めて読んだ時、私はとてもリアルに感じた。ああいう場を身をもって体験していたというのは、まさに財産。
いろいろな読み方が出来る小説だけど、私は何よりまず、男の子が寮を出るまでの物語として共感を持って読んでいたなあ(笑)。
バンカラの気風が強い寮で、今思えば骨董的価値さえある非常にレアな場所だったのだが、自分の暮す場所はそこしかなかったし、日々はそれなりに楽しかった。
先輩たちが酒を飲んで帰って来て、深夜に寮の前で高歌放吟、寮歌を大声で歌っていたりすると、さすがにそういう甘えの感覚にはついていけなかったけれど、まあそれはそれ。
思い出しても笑ってしまうのは、合格して、書類で入寮を申請したあと、父母と一緒に寮を下見に行った時のことだ。
ヒトラーヒゲを蓄えた、おっちゃんといってもいいような風貌の人(あとで聞いたら寮生活7年という、寮の主みたいな人だった)がそこそこ高そうな車を寮の玄関で洗っていて、なんだこのエラそうな人は、と思ったこと。寮では年次が重んじられるので、自然、留年を重ねた人の方がエラいのだ。
そして、寮の暮らしはどんなものかと寮長の部屋を見せてもらったら、狭くて古くて、おまけに頭上には洗濯物まで干してあって、あまりのことに母親が泣き出してしまったこと。「こんなところで息子を何年も暮らさせるのか」というわけだ。そのあと、父と二人で、一生懸命母を説得したことを覚えている。
さて。
寮歌を覚えさせられたり、酒を飲まされたり、二人部屋で暮らしたりと、越えなければならないハードルが多すぎて、当時はその暮らしを価値判断する余裕もなかった。
たぶん、煙草は吸わない、麻雀もしないで、本ばっかり読んでいた私は周りからは浮いていたのだろうけど、まさにそのために、この寮で学部を越えた知り合いもできたし、とにかく淋しくはなかった。だから、行っていてよかったなあ、と今では思う。
やがて一年半後、ある意味寮の暮らしを味わい尽くしてしまって寮を出るわけだけど。
何が言いたいかというと……。
村上春樹の『ノルウェイの森』で描かれている寮という特殊な空間。あれを初めて読んだ時、私はとてもリアルに感じた。ああいう場を身をもって体験していたというのは、まさに財産。
いろいろな読み方が出来る小説だけど、私は何よりまず、男の子が寮を出るまでの物語として共感を持って読んでいたなあ(笑)。
Posted by しぞーか式。 at
23:39
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