2010年02月08日
仮面サイダー


子供と公園に遊びに行く途中、自動販売機で見つけたジュースたち。
静岡って、よくマーケティングにつかわれるとは言うけれど、今もそうなのかな?
仮面サイダー、とうっ!
Posted by しぞーか式。 at
21:44
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2010年02月07日
なぜ私はこんなに頭がいいのか

この各章のタイトルに惹かれてニーチェの『この人を見よ』を読み始めた。
こんなにすごい本が岩波文庫で普通に出ているのがまた凄い。
なんていうかなあ、この、笑えて、しかも笑うに笑えない感じって、すごくないですか?
Posted by しぞーか式。 at
19:21
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2010年02月06日
タイムカプセルとしての映画
先日、ようやく『ミツバチのささやき』も見ることができ、これで『エル・スール』ともども、20年来の再会を果たすことができた。
今回も、映画を見る予定のある人は読まない方がいいと思うのだが、もう静岡でも上映が終わったことだし、若干の改行のあとで、普通に書いてみよう。
今回よくわかったのは、自分が、映画を映像で覚えるタイプである、ということだった。
たとえば、『ミツバチ』の冒頭で、映画が来たことを村人に知らせるのに、恰幅のいいおばちゃんが、歌うようにお知らせを読み上げる、そのとき鳴らす角型の銀色の笛とか、歌うような口ぶりとか。最後近くにアナがベッドから1人起きだしてコップから水を飲む、そのコップのガラスの厚さとか。
たとえば、『エル・スール』で、自転車の右側に立って押し、右側から乗るところとか。井戸探しのシーンで、父親のてのひらにコインを渡す、その手のアップとか。
でも、逆に、見直したとき、あまりの記憶との落差に驚愕したところもあった。特に、『エル・スール』は、見直してかなり印象が変わった。
そもそも、父親が苦悩して自殺する、というのが映画のあらすじなのにも関わらず、20年前の私は全く父親の苦悩に気がついていなかったのだ。
たとえば、父親が手紙を書いているところに娘が窓から呼びかけるシーン。父は、行きつけの酒場で酒(ブランデーみたいなものかな?いずれにせよ蒸留酒っぽい)を飲みながら、今は女優をしている昔の恋人に手紙を書く。すると、娘が外からガラス戸ごしに呼びかけるので、父は、万年筆を置き、あいまいな笑みを浮かべて答える。このとき、グラスの酒の茶色い影が、手紙と万年筆に落ちている。
このシーン、私の頭の中で、「近寄りがたい父に、娘がなんとか話しかけようとするシーン」に脳内変換されていた。まあ確かに、娘の視点で見ればそういうシーンなのだけど、父の視線から見れば、家庭を捨てたくない思いと、昔の恋人を忘れられない思いに引き裂かれている、つらいシーンなわけで。
映画の前半、父は水脈探しや、錘を使ったおなかの子の性別当てをするシーンがあるので、たぶん、父親の神秘的な部分ばっかりが強調されて記憶に残っていたのだろう。しかし、だからといって、昔の恋人がどうしても忘れられない、ある意味子供じみたわがままさをまったく見逃しているというのは、、、、、私はどういう映画の見方をしていたのだろうか!
同様に、その恋人から届いた返事をカフェ(バー?)で読んでいて、その横では、調律師が備え付けのアップライトピアノを延々調律している、というシーン。このシーン、今回再見して私が一番好きになったシーンなのだが、ここも、かなりわかりやすく父の苦悩を描いているシーンなのに、シーンの静けさだけが印象に残っていた。
どうやら、『エルスール』、私はすっかり娘の視点からだけで見ていたようだ。20年経って、父親にもなって、ようやく映画の中の父の苦悩にも気がつける、気持ちの幅ができてくる、ということだろうか。
・・・またしても、気がつくと『エル・スール』の話になっているな。
でも実際、『エルスール』は全く印象が変わり、大好きな映画に昇格したのだった。一方、『ミツバチ』は、もともと大好きで、今回再見してもやっぱり大好きな映画のままだった。『ミツバチ』も、昔の私が基本的に少女アナの視点から見ていたのは同じなのだが、こっちのほうは、そもそもストーリーに大人たちの苦悩はさほど明確に描かれていないので、そういう意味では記憶の改ざんはあまりなかったのだろう。
『ミツバチ』については、どのカットもすごく好きだし、ゆったりしたテンポもたまらない。
列車が運んでくる「外」のイメージとか、アナが母親に髪をとかしてもらうシーン(ベラスケスの絵のようだ)の親密な感じ、姉妹がカフェオレを飲みながら、ふざけてむせてしまうシーン、、、、。好きなシーンを挙げていけばきりがない。
でも、今回、かつては気がつかなかった好きなシーンを一つ見つけることができた。それは、夜アナが1人で外を歩くシーンの、顔のアップ。
映画の中では2回あるのだけれど、両方とも木々と雲に隠れそうな月のカットのあとに、アナの顔のアップが入る。この表情が、それまでの目が大きいいかにもな美少女の顔と違って、憂いを秘めた女性の顔にも見えて、ちょっとドキッとした。
なんにせよ、20年前に埋めたタイムカプセルはしっかりと掘り出せた。エリセ監督、次の作品も期待しています。

後記
なんだか書いていて不完全燃焼。
ミツバチについては、後日追記したいけど、少し寝かしてからかな。。。
今回も、映画を見る予定のある人は読まない方がいいと思うのだが、もう静岡でも上映が終わったことだし、若干の改行のあとで、普通に書いてみよう。
今回よくわかったのは、自分が、映画を映像で覚えるタイプである、ということだった。
たとえば、『ミツバチ』の冒頭で、映画が来たことを村人に知らせるのに、恰幅のいいおばちゃんが、歌うようにお知らせを読み上げる、そのとき鳴らす角型の銀色の笛とか、歌うような口ぶりとか。最後近くにアナがベッドから1人起きだしてコップから水を飲む、そのコップのガラスの厚さとか。
たとえば、『エル・スール』で、自転車の右側に立って押し、右側から乗るところとか。井戸探しのシーンで、父親のてのひらにコインを渡す、その手のアップとか。
でも、逆に、見直したとき、あまりの記憶との落差に驚愕したところもあった。特に、『エル・スール』は、見直してかなり印象が変わった。
そもそも、父親が苦悩して自殺する、というのが映画のあらすじなのにも関わらず、20年前の私は全く父親の苦悩に気がついていなかったのだ。
たとえば、父親が手紙を書いているところに娘が窓から呼びかけるシーン。父は、行きつけの酒場で酒(ブランデーみたいなものかな?いずれにせよ蒸留酒っぽい)を飲みながら、今は女優をしている昔の恋人に手紙を書く。すると、娘が外からガラス戸ごしに呼びかけるので、父は、万年筆を置き、あいまいな笑みを浮かべて答える。このとき、グラスの酒の茶色い影が、手紙と万年筆に落ちている。
このシーン、私の頭の中で、「近寄りがたい父に、娘がなんとか話しかけようとするシーン」に脳内変換されていた。まあ確かに、娘の視点で見ればそういうシーンなのだけど、父の視線から見れば、家庭を捨てたくない思いと、昔の恋人を忘れられない思いに引き裂かれている、つらいシーンなわけで。
映画の前半、父は水脈探しや、錘を使ったおなかの子の性別当てをするシーンがあるので、たぶん、父親の神秘的な部分ばっかりが強調されて記憶に残っていたのだろう。しかし、だからといって、昔の恋人がどうしても忘れられない、ある意味子供じみたわがままさをまったく見逃しているというのは、、、、、私はどういう映画の見方をしていたのだろうか!
同様に、その恋人から届いた返事をカフェ(バー?)で読んでいて、その横では、調律師が備え付けのアップライトピアノを延々調律している、というシーン。このシーン、今回再見して私が一番好きになったシーンなのだが、ここも、かなりわかりやすく父の苦悩を描いているシーンなのに、シーンの静けさだけが印象に残っていた。
どうやら、『エルスール』、私はすっかり娘の視点からだけで見ていたようだ。20年経って、父親にもなって、ようやく映画の中の父の苦悩にも気がつける、気持ちの幅ができてくる、ということだろうか。
・・・またしても、気がつくと『エル・スール』の話になっているな。
でも実際、『エルスール』は全く印象が変わり、大好きな映画に昇格したのだった。一方、『ミツバチ』は、もともと大好きで、今回再見してもやっぱり大好きな映画のままだった。『ミツバチ』も、昔の私が基本的に少女アナの視点から見ていたのは同じなのだが、こっちのほうは、そもそもストーリーに大人たちの苦悩はさほど明確に描かれていないので、そういう意味では記憶の改ざんはあまりなかったのだろう。
『ミツバチ』については、どのカットもすごく好きだし、ゆったりしたテンポもたまらない。
列車が運んでくる「外」のイメージとか、アナが母親に髪をとかしてもらうシーン(ベラスケスの絵のようだ)の親密な感じ、姉妹がカフェオレを飲みながら、ふざけてむせてしまうシーン、、、、。好きなシーンを挙げていけばきりがない。
でも、今回、かつては気がつかなかった好きなシーンを一つ見つけることができた。それは、夜アナが1人で外を歩くシーンの、顔のアップ。
映画の中では2回あるのだけれど、両方とも木々と雲に隠れそうな月のカットのあとに、アナの顔のアップが入る。この表情が、それまでの目が大きいいかにもな美少女の顔と違って、憂いを秘めた女性の顔にも見えて、ちょっとドキッとした。
なんにせよ、20年前に埋めたタイムカプセルはしっかりと掘り出せた。エリセ監督、次の作品も期待しています。

後記
なんだか書いていて不完全燃焼。
ミツバチについては、後日追記したいけど、少し寝かしてからかな。。。
2010年02月05日
2010年02月04日
でっかいたまご
もらっちゃ王(6歳男子)が言った。
「地球よりでっかいたまごがあったらどうする?」
別にどうもしないよ。だって、地球よりでっかいたまごなんて、あるわけないじゃん。
もらっちゃ王「でも、もし、ほんとうにほんとうに、あったらどうする?」
もらっちゃ王がそうことばにしたとたんに、宇宙が広がった。
巨大なたまごに、オマケのようにくっついている地球。
*すみません、「ミツバチのささやき」について、ゆっくり書いている時間がとれません。
あさってには書こうと思っています。
しかし、そんなことを言っているまに、今週金曜に上映終わります。
ごらんになりたい方はぜひ。
「地球よりでっかいたまごがあったらどうする?」
別にどうもしないよ。だって、地球よりでっかいたまごなんて、あるわけないじゃん。
もらっちゃ王「でも、もし、ほんとうにほんとうに、あったらどうする?」
もらっちゃ王がそうことばにしたとたんに、宇宙が広がった。
巨大なたまごに、オマケのようにくっついている地球。
*すみません、「ミツバチのささやき」について、ゆっくり書いている時間がとれません。
あさってには書こうと思っています。
しかし、そんなことを言っているまに、今週金曜に上映終わります。
ごらんになりたい方はぜひ。